年末から毎日ではないが、鼻水やくしゃみが止まらなくて、やりたい事や仕事に集中出来ずにイライラしてしまう日が続いた。
医者に行って診察を受けるとどうも風邪ではないらしい。花粉か何かのアレルギーもしくは寒暖差による鼻炎のようなのだ。

思い返すと昨年は、膝や腰、手首の痛み、また歯痛など色々な”痛み”を多く経験した年であった気がする。
すべて大事には至らなかったが、先輩方々の「40になるとな・・・、50歳を超えるとな・・・、60代から急に・・・」と言う言葉をよく思い出していた。
身体が古くなって行くと言う誰もが平等に経験する自然の摂理と、また痛みや支障を経験してはじめて”当たり前のように機能してくれている肉体”の有難さに気付く年でもあった。





実は、僕はもともと自律神経が強くなくて子供の頃からずっと偏頭痛を持っている。
今、この歳になると頻度や痛みも少し弱まった気がするが、数年前までは一日中起き上がることも出来ず布団の中でよくうずくまっていた。
痛みにも強い方ではないので、恥ずかしい話だか、頭痛の最中はずっと布団の中で「死にたい、死にたい、死にたい・・・」と繰り返している。

昨年は”痛み”を多く経験したと同じくらい、本や動画で”感謝”という言葉にもたくさん出会った気がする。感謝が心に与える影響や少しスピリチュアルな意味の『ありがとう』という言葉が持つ力についても認識していた方だと思う。

でも、ある著名な方が動画の中で、頭痛の時は頭に『ありがとう』と言いなさい。と言っていた。
その方曰く、頭はあなたのために一生懸命”考える”と言う仕事をやり続けてそうなったんだからまず『ありがとう』だろう。と言うのだ。
言っていることは理解は出来たが、自分に苦痛を与えている時に『ありがとう』を言うとのは難しい気がするなぁ。と正直思った。





その後すぐに動画のことは忘れていたのだが、次の頭痛の最中に布団の中でふと思い出した。
『感謝』というより、いつもの「死にたい」と言う言葉が、「ありがとう」という言葉に変わっていただけだ。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・」と。

もちろんそれですぐに痛みが和らいだり、治ったりしたわけではない。
ただ「死にたい」と繰り返している時より、心は少し落ち着いていたように思う。

言葉はやはりそれを言っている人の心に大きな影響を与えていると思う。
「死にたい」などのネガティブな言葉は、怒りや悲しみ、また痛みや状況に対して攻撃する気持ちを強めてしまう。
でも「ありがとう」と言う言葉は、痛みの最中であっても心を穏やかな方向へ導いてくれる。
もしかすると痛みを受け入れていたり、頭に対しての思いやる気持ちにもなっていくのかも知れない。

実は僕の偏頭痛は、睡眠に落ちることが出来るとすうっと痛みが引いていることが多い。
でも逆に、眠りにつけないと痛みがずっと続くわけだ。
そう、心が穏やかになったり落ち着けば落ち着くほど、早く睡眠に落ちることが出来るのである。





人生では”痛み”やまた色んな苦しみを伴う”状況”に出くわすことが度々ある。
もちろんその痛みや状況を嘆く気持ちになることがあっても僕はいいと思う。
やりたいことが出来ない苦しさや怒りも感じる。

でももしかするとそれは僕達が”大切な何か”に気付くために起こっていることもあるのかも知れない。
『ありがとう』と言う言葉は、それを受け入れたり、大切な何かに目を向ける心の状態に近づけてくれる。そしてその大切な何かに気付いた時、その痛みや状況はもうあなたに必要なくなっている。


痛みを感じている時、苦しい時、感謝の気持ちを持つことは難しい。
でもその時この文章のことを思い出したら、ただ『ありがとう』という”言葉”を繰り返してみてください。


ありがとう

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