人を疑う気持ちでいっぱいになってしまったり、

人が信じられなくなってしまった時、

僕たちは、どうすればいいのだろう?



誰かに裏切られたり、傷つけられた経験があるとしたら、

人を疑うというのは自分を守るための防衛でもあるでしょう。

もうあんな悲しい目に合わないでいいように。



でも、誰かのことを疑う気持ちを持っていると、

心はとてもしんどいです。



その相手が大切な人であれば、

その人を信じてあげられない”自分”を責める気持ちも出て来ます。



相手が特定の人でなくて漠然と周りの人に対して感じているとしたら、

すべての人に対して距離を感じるだろうし、孤独だったり寂しかったりもします。



もう一度人を信じたいし、大切な人を信じられる自分にもなりたい。



その人が今一緒に居るパートナーだとしたら、信じられた方がずいぶんと心は楽ですよね。

素直に愛し合えたり、二人の時間をもっと楽しめたりも出来ます。



でも、もし信じてまた裏切られたら、傷つけられたら、と想像してしまうと・・・

信じたいけど恐い。ジレンマです。



ちなみに今信じたいと思っている相手が、自分を裏切ったり傷つけたりした人ではない場合もありますよ。

昔付き合っていた男にひどい裏切りをされた経験がある。だったり、

前の職場で嫌な思いをさせられた。だったり、

また小さい頃、愛して欲しい人に受け止めてもらえなかった。など。



そんな過去の経験が、今居る人との距離を作ってしまう事もあります。

過去の痛みが癒しきれていないと出て来てしまう恐れです。



でもそうだとしたら、

今目の前や周りに居る人たちは裏切ったり傷つけたりしない人かも知れないのに・・・

でも信じられない。となってしまうでしょう。



自分を傷つけた人が、今の人でも、過去の別の人でも、

「今一緒に居る人が、絶対にこれから私を裏切ったり傷つけたりしない。って保証はないでしょ」

と思ってしまうかも知れない。



・・・だから、信じられない。

そう”時に”人を信じるってものすごく難しい時があります。



* *



この文章を書きながら、さっきからずっと頭の中に浮かんでいる光景があるのですね。

それは僕の友人が以前に話してくれた、彼女の新婚時代の話です。



友人 「私ね、結婚した当時マンションに住んでいて時々ベランダにすずめが遊びに来たの」

僕  「ふ~ん”すずめ”かあ、いい感じだね」

友人 「そう、すずめが親子連れで来て、ベランダで水浴びをするの」

僕  「へ~、ベランダで水浴びかあ~」

友人 「可愛くて私目の前まで寄って行ってずっとずっと眺めていたのよ」

僕  「ふ~ん、逃げないんだね」

友人 「そう、親は人間を警戒するけれど、子供はまだ人間が恐いって知らないから目の前でずつと遊んでいるのよ」

僕  「へえ~~ そんなんやあ」



とってもたわいもない会話ですが(笑)

彼女も、すずめも、とっても可愛くて、それに空でお日さまが本当に笑っている様な、

なんか平和でとても穏やかな光景でしょう。



今この文章を書きながら思い出すまで、何の疑問も持っていたかった話なのですが・・・

もちろん、雀の子供がその経験値からまだ人間を恐れていないってのは事実だとは思うんです。

でも、目の前まで近づいても逃げないほど警戒しない雀って僕は出会った事がないなあって。



ただ、絶対に確実に言える事は、

彼女の人柄もだけど、新婚ほやほやの彼女がベランダで遊ぶ雀に向けた心と、

「あっ、すずめやっ」って近づく僕の心の中とでは何か違っていたのだと思う。

もしかすると小さな雀たちは自分の身を守ること(疑うこと)を既に学んでいたかも知れない。

でもその時の彼女の心には”それ”を感じなくて良かったのかも・・・



* *



さて、どうしても頭の中から離れなかった話を書いてスッキリしたところで本題に戻ります。

人を疑ってしまって信じられない時、

どうしたらいいか?



ひとつの提案なのですが、

その人や周りの人を信じようとするのではなくて、

自分自身を信じようとして見たらどうでしょう。

自分自身を信じると言っても、

自分は何があっても人を裏切らないとか、絶対人を傷つけないとか、すっごいいい人だ。

と言う事を信じるのではないですよ。



心理学を通して考えると、

僕たちは周りの世界を”必ず”自分の心の中にあるものを写し出して見ています。

周りの世界に見えるもの、それは自分の心の中に”あるもの”しか見る事が出来ないのです。



自分を信じるとは?



まず自分の中に、外の世界に”映し出しているもの”も含めて、

さまざまな自分が居るんだという事を認めてください。


・パートナーが居ても、ずっと寂しくてほかに愛を求めてしまいそうになる自分。

・傍に居るのが当たり前になってしまって、外に違う刺激を求めてしまう自分。

・何かに夢中になって、自分を求めてくれている気持ちを鬱陶しく感じてしまう自分。

・自分の居場所を作る事ばかりに必死になつてしまう自分。

・人に評価されたり、良い風に見られたい自分。

・みんなに好かれていたい自分。  etc.etc.



そんな自分なんていません。とは認識しないでください。

目に見えるすべてのものは自分の中にあります。

抑圧するとそれは周りの世界に現れます。

そしてあなたは心の中にあるさまざまな自分の中から、

常にどれかを”選んでいる”のです。

常にです。



・愛する人を傷つけない行動をしようとする自分を。

・大切な人の気持ちを大事にしようとする自分を。

・傷ついている誰かの気持ちを解ってあげようとする自分を。



いろんな自分の中から、誰かを守るため、誰かを愛するため、

その自分を選んでいるのです。



それは倫理でも道徳でも法律でも常識でも当たり前でも、ありません。

あなたの心の中にある誰かに対する愛からその自分を選んでいるのです。



でも時には、それをとても選びずらい状況の時もあります。

自分の寂しさに、孤独に、またいろんな気持ちが優先してしまう時も・・・

それでもあなたは、誰かを愛する行動を、自分を、”選ぼう”とするのです。

すべての可能性と選択肢の中から・・・



その自分を信じてあげてください。


でも、


愛を ”選ぶ” 自分だから信用するのではないのですよ。

愛を ”選ぼうとする” 自分を信頼して欲しいのです。



”裏切らない” 自分を信用するのではないです。

”浮気しない” 自分を信用するのではないのです。

”傷つけない” 自分を信用するのではないのです。



色んな気持ちを持ちながらも、


誰かを ”守ろう、愛そう” とする自分を、信頼してあげて欲しいのです。


そうすれば、あなたの大切な人も、あなたの周りの人も、僕も、


あなたとまったくと同じ心を持っている人を、

少し信頼して見ようとする気持ちになれるのではないでしょうか。




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