最近の自分の書いた文章を読み返してみると、
『 信頼 』のことを扱っているものがとても多い。
日常の生活でも・・・
この人、僕のことを本当に信頼してくれてるなと感じられる事もあるが、
また逆に、始めっから信用してくれていないなと感じてしまう事もある。
疑われていたり、信頼されていないと感じるとやっぱり悲しいし、
どこかでモチベーションが下がってしまうのも人の心である。
なぜそんな経験を 今 繰り返しているのだろう?
そんな時はやはり、
”自分自身”に目を向けて見る事が、心理学的には王道だろう。
自分は周りの世界にちゃんと信頼を向ける事が出来ているのだろうか?
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心はなぜ『 疑う 』のか?
まず、どうして僕たちの心は『 疑う 』のだろう?
どうして『 疑うことを学んだ 』のだろう?と問いかけた方が、正確かも知れない。
生まれた時、
誰かを愛し始めた時、
何かをはじめて祈った時、
僕たちの心は周りにある世界やものや人を、疑ってはいなかっただろう。
始めはすべてを信頼していた。
でも、傷ついたり、悲しい思いを繰り返して、
そのうち『 疑う 』ことを身につけて来たのだと思う。
『 疑う 』 とは、
僕たちの心が” 自分がもう傷つかないでいいように ”と、
自分のことを守るためにしている 心の防衛 なのである。
傷ついたのはなぜ?
悲しい思いをして『 疑うこと 』を身につけたと書いたが、
その経験は全て、自分が裏切られたからなのだろうか?
もちろん、そんな経験もあるかも知れないが、
大半が人間やものの本質を知ったり
もしくは自分の” 期待 ”が裏切られたと言う事ではなかっただろうか。
人間というものの本質を知ると言う事は、
時にはすごくショックだったり傷つく事だったかも知れない。
でも、自分自身を受け入れる事につながったり、
自分を含めた” 人を愛する ”という心の成長プロセスなのではないだろうか。
そして期待とは「 ○○であって欲しい 」と言う心の中にある思いの事で、
自分の希望や願いを、きちんと伝える事が出来ていたかどうかは、振り返って見る余地がある。
信頼を向けると
さて、では以上の事を踏まえた上で、もう一度『 信頼 』の持つ力の事を考えて見よう。
もし自分が信用されたり、信じてもらえてると感じた時、心は何を感じるだろう?
きっと、大きな喜びを感じる。
そしてなんとかその願いや希望を叶えてあげたい。
そんな気持ちになるのではないだろうか?
信頼を向けられるとは、
自分にその人を幸せに出来る能力があることを認めてもらっている事だと思う。
そして信頼には、
信頼を向けてくれている人の希望や願いをどうしても叶えてあげたい。
そんな気持ちや、やる気にさせてくれる” 力 ”がある。
期待ではなく、希望や願いをきちんと伝えようとする努力も必要だし、
また、最終的に信頼できるかどうかは別の問題だとしても、
『 信頼を向ける 』ことには、大きな大きな力があることを知っておいても損はないだろう。
『 信頼 』を何に使う?
この『 信頼 』という大きな力を、大切な人や、周りの人に向ける事はとても素敵な事です。
ただ今日この文章を書き始める時、もうひとつ、信頼を向けたいものが僕の頭の中にあった。
それは、
自分の願いや夢、叶えたいこと。
今、僕たちの周りには、
自分らしく生きるだったり、自分を生かす人生だったり、
また願いを叶える方法などの情報が勢いよく流れ込んでいる。
そしてその希望や夢を叶えてくれるのが、
神様だったり、宇宙だったり、もしくは自分だったり etc.
でもその信じる対象を、心の底から信頼出来ているだろうか?
神様はもしかしたら、僕の夢はわがまま過ぎるから叶えてくれないかも・・・
一生懸命やっていても、宇宙は私の願いを叶えてはくれないかも・・・
こんな自分では、やっぱりダメかも・・・
それでは、信頼していることにはならない。
もし、叶わずに傷つく事が怖くて『 疑う 』のなら、少し勿体ない。
せっかく願うなら、
せっかく夢を見るなら、
せっかく祈るなら、
『 信頼 』を向けて見よう。
絶対に叶うと信じて見よう。
カウンセリングでは「 ○○見よう 」という言葉を出来るだけ使わないようにしている。
だけど、今あえて使う。
あなたの胸の中にあるその想い、願い、夢…
『 絶対叶うと、必ず実現すると、信じて見よう。 』
【プロフィール】
吉 原 直 人
1967年12月6日生まれ。いて座。A型。
自分自身が抱えた離婚問題をきっかけに心理学、カウンセリングの世界へ入っていく。
子供の頃の生い立ちや自分の心とじっくりと向き合い癒しを経験する。
その後カウンセラーとして、夫婦関係をはじめ、子育て、恋愛、様々な問題をサポート。
優しいく包み込む様に行われるカウンセリングは、心を癒し自然にその人本来の姿に戻していく。