大切な人に与えてあげられない気持ち

大切な人が、苦しんでいる姿を見たり、

大切な人が、欲しいと言うものを与えてあげられなかったり、

大切な人の力に、自分がなってあげられていないと感じる時、

それはこの世で経験する最も辛い事なのではないでしょうか。



今、子供を育てている人であれば、

周りの友達がみんな持っているものを、自分の子供には買ってあげられなかったり、

離婚などで、子供にどうしても与えてあげれれない環境があったり。



パートナーに対してはどうでしょう。

仕事が忙しくて自分の時間がまったくない。と愚痴をこぼしながら毎日働いている姿を見たり、

本当はやりたい事があるのに、生活のためにそれを我慢して嫌な仕事を続けていたり。



夫婦であれば、役割や責任と言う言葉で当たり前の事だと言って、

自分の本当の気持ちに気付いていないかも知れません。

また「そんなのおたがい様よ」と思っているかも知れません。



でも考えて見てください。



愛する人が、本当にしたい事が出来ないでいる人生を送っているとしたら、

本当の自分を曲げて、人生を生きているとしたら、

それを見ているあなたは、心の深いところで何を感じているのでしょう。



普段は感じている事をごまかしているかも知れないけれど、

子供に与えてあげられていないと思う時に感じる気持ちと、

同じ気持ちを、パートナーに対しても感じているのではないでしょうか。



僕たち誰もが、大切な人にはいつも笑っていて欲しいし、

喜びを感じて暮らしていて欲しいと願っています。

そして何か力になってあげたいと、いつも思っています。



それは僕たちがもともと心に持っている愛だし、

自分が与えてあげられていないと感じる事が辛いのも、

大切な人を愛しているからこそ、経験する感情ではないでしょうか。



ただ僕たちは時々、



自分が役に立っていない、与えてあげられていない、

と感じる事があまりにも辛い時、

その感情を感じなくてもいい様にふるまったりしてしまう事があります。


『 犠 牲 』


これは僕たちが何かを感じないで済む様に、

心の防衛からしてしまう行いのひとつです。



『 犠 牲 』

SFアニメや映画の中では、地球を救うために、

また誰かを守るために、自らが犠牲となって愛するものを守る。

と言う偉大な愛やヒーローとして描かれる事が多いです。



もちろん犠牲とは愛からくる行為ですし、その行動自体が間違っているわけではありません。

地球を守るためにというほど大きな目的ではなくても、

普段の生活の中で、子供たちや愛する人のために、

自分の時間をさいたり、自分が何かを我慢したりする事は、

よくしているでしょう。

それもやはり大切な人への愛情からくる行為です。



ただ、



誰かのために、本当の自分を捨てている。

誰かのために、自分の本当にやりたい事を諦めている。

誰かのために、自分の喜びを考えないでいる。



こんな風に表現すると少しニュアンスが変わってしまいます。

その行為が愛情からなのか、また犠牲なのかは、

はっきり線引き出来るものではなく、両方入り交ざっています。



愛か犠牲かを見極めるには、

相手がどんな反応をしても、心に喜びが大きければそれは愛です。

相手の反応で嫌な気持ちになったり、心の中に「不平不満」が残っていたり、

また、どんな目的にしても、達成感や成功したという感じや喜びが少ない時は、

それは犠牲からの行動です。



犠牲をしてしまう目的は、

何かを感じないためだったり、相手の愛情をもっと獲得したかったり、

自分がその人にとって、もっと役に立っていると感じたいからです。



犠牲的な愛し方をしてしまうのは、

心の深いところに、罪悪感があったり、無価値感があったりします。



心理学的に言うと犠牲的な行動の元は、

子供時代の家族関係からそのパターンが始まっています。



犠牲という言葉に少しひっかかった方は、

もう少し、先を読み進めて見てください。



○ 僕たちが気付かないといけないこと

僕たちが今生きていると言う事は、

僕たちの存在に対する誰かの愛があったからです。

僕たちに向けられた愛情や行いには、もしかしたら犠牲という行為も、

含まれていた事があったかも知れません。



僕は幼い頃、何度か母と共に家を追い出されて、

母の知り合いや友人の家を転々としていた時期がありました。

当時、母は僕たちにいつも何かを与えようとしてくれていました。

「お母さんはいいから、あなたたち食べなさい」

大人になった僕は、母の愛情も、その頃の母の胸中もよく理解出来ます。



でも、子供の気持ちの方にも目を向けて見てください。

子供の方も、何か切なくて抱え切れない気持ちになってしまうものです。

実は今でも母は、僕と弟と母と一緒に食事をする機会などがあると、

「わたしはいいから、あなたたち食べなさい」と言ったりします。

世間の厳しさも十分経験して大人になった”今”の僕たちは、

今も変わらなない母親の愛に感謝しながらも、

「自分も食べたいもの食べたらいいやん」

と少し強い口調になってしまいます。



ふと思い返すと、父親となった僕自身も、

子供たちに同じ様な事をしている事があります。



でもね。



”食べたい盛り”の男の子たちは必ずこう言います。

「お父さんは、食べたの?」

「お父さんの分は、あるの??」



愛は色んな形をしています。

そしてそのすべての愛は、人を癒し、育み、生かします。

僕たちが気付かないといけないこと。



それは、



あなたが、愛している人。

あなたが、生かそうとしている人。

あなたが、どうしても人生で大きな喜びを感じて欲しいと願っている人。



その人も、あなたとまったく同じ気持ちを持って、

あなたと同じだけ、あなたを愛し、あなたを生かそうとし、

あなたが自由で、自分の人生を生きていて欲しいと願っている。



そのことです。



あなたが本当にその人に自由や喜びを与えたいならば、

まず、あなたが自由と喜びを得る事です。

それが、あなたが愛する人を、本当に自由にしてあげる事ではないだろうか。



今、すぐに変えられないかも知れない。



でも、小さな事でいいから、今日、あなた自身にひとつ喜びを与えてあげてください。

そして、あなたが楽しんでいる姿を、大切な人に見せてあげましょう。







よしはらなおと【プロフィール】 
吉 原 直 人 
1967年12月6日生まれ。いて座。A型。
自分自身が抱えた離婚問題をきっかけに心理学、カウンセリングの世界へ入っていく。
子供の頃の生い立ちや自分の心とじっくりと向き合い癒しを経験する。
その後カウンセラーとして、夫婦関係をはじめ、子育て、恋愛、様々な問題をサポート。
優しいく包み込む様に行われるカウンセリングは、心を癒し自然にその人本来の姿に戻していく。

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