今それがどんな状況だとしても、
結婚できたこと・・・
仕事に巡り合えたこと・・・
その人と出会えたこと・・・
今、生きていること・・・
よく考えて見るとそれって奇跡だったかも、って思える”時”がある。
いつも、そう思えているわけではないのだけれど、
少し穏やかな気分の時、静かに”今まで”をいろいろ振り返ってみる時。
あの状況から・・・、自分の人生で・・・、
やっぱりそれは奇跡だったかも知れない。と思える時がある。
そしてそんな時、もしかしたら自分は何かに誰かに”生かされている”のかもと思える。
僕は子供の頃から、おじいちゃん、おばあちゃん子だった。
だからか分からないけれど、いつも年配の知り合いがいる。
今も時々話をするおばあちゃんは94歳。
会う度にこんな話を聴かせてくれる。
「人は皆、お母さんのお腹の中にいる時にどんな人生なのか前もって全部聞かされる」
「その上で、神さまは尋ねられる。それでも生まれる?やめとく?って、」
仏教の教えから来ている考えらしいのだけれど、毎回おばあちゃんはこの話を僕にする。
僕もそれは僕が今聴く必要があるから聞いているんだとどこかで思っている。
確かに、人生で起こることを知っていてそれでも生まれたいって思ったのなら・・・
今自分の人生で起こっていることも、経験していることも、もう少し静かな気持ちで受け止められる気がする。
今”起こっていること”をあるがままで受け止められる”心境”が僕はとても大切なことの様に思うのだ。
人の寿命”いつ死ぬのか”は生まれた時に既に決まっている。
この考えも、僕はどこかで信じている。
僕には、二十歳になるまでに逝った友人がいる。
学生の頃、生まれてはじめて自分の心を見せられた友人だった。
きっとあの時、彼と出会えて無かったら僕は今いない気がする。
今、僕たちの周りには幸せになるための手段と情報が溢れかえっている。
でもきっと、しあわせとは心の姿勢なのだと僕は思う。
もし今・・・
君が自分の人生には何も無いって思う時があったなら、僕はこう思う。
僕たちの人生に課せられている事があるとすれば、それはひとつだけ。
生まれてから死ぬまでの時間をただ生きることだけ。
その決められた時間をただ生きるために、
誰かが君の奇跡に。
そして君が誰かの奇跡に・・・
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