●個性
仕事や家事、スポーツや音楽、人前で話すこと、何かを作る作業 etc.
人にはそれぞれ”得意なこと”と”苦手なこと”があります。
仕事の中でも、営業が得意な人もいれば事務が得意な人もいます。人に教えることが好きな人もあまり好きではない人もいる。
同じ営業でも、人の話を聞くことが得意な人もいれば、聞くよりも話す方が好きな人もいるかも知れません。
人って、それぞれ苦手なこともあれば得意なこともある。嫌いなこともあれば好きなこともある。
それを僕たちは個性と呼び、本当はその個性の中にこそ、その人独特の才能が隠れていたりするのではないでしょうか?
そして個性を持っていれば逆に、どうしても苦手なこと、出来ないことがあっても仕方のないことではないだろうか?
●挫折、出来ない経験
僕は若い頃、好きで仕方なかったことなのに、途中で挫折して投げ出してしまったものがあります。
すごく悔しい思いもしたし、続けることが出来なかった自分を責めたし、とても恥ずかしいとも感じました。
また元々苦手だなって自覚していることで、出来るだけ携わらないように生きて来たにも関わらず、仕事や社会生活の中でもどうしてもその苦手な分野のことに取り組まないといけない時もありました。
中にはそのことがきっかけで、ある程度、苦手を克服して出来るようになったこともありますが、結局上手く出来なくて挫折感を味わったり、苦手意識を更に強くしたことも・・・
この苦手なことや、また”出来ない経験”って一体何のためにしているんだろう??
実は、そんなことを正に経験して傷心の中、真剣に考えたことが最近あったのです・・・
●自分が出来ても、誰もが出来るのではない
車の運転、お金の計算、人の話を聞くこと、片づけること、人の気持ちを理解すること etc.
僕たちは比較的”自分が簡単に出来る”ことを人が出来ないでいる時、イライラしてしまうことが時々あります。
・・・”時々”ではないかも知れませんね(笑)。
「なんでそんなことが出来ないの!」って言ってしまったり、言葉にしなくても態度に出してしまったり。
自分が出来ること=人も出来て当たり前。になってしまっているのかも知れません。
でもそんな時、自分にも苦手な分野があることを思い出すことが出来れば・・・
相手の苦しい気持ちに気づいたり、優しく出来たりするのではないでしょうか。
自分にも”出来ないこと”がある。それは決してダメなことではなく、人の気持ちに気づける大切な経験なのだと僕は思うのです。
●出来ないことを『仕方ないよね』と思えるようになれたら
自分に苦手なことがあったり、知らないことがあったり、分からないことを経験したり・・・
そして自分にはどれだけ頑張っても”出来ないこと”がある。
そんな経験をした時は、やさしく自分に『仕方ないよね』って言ってあげてみたらどうだろう?
それは決して悪いわけではなく個性なのだから。
自分に”出来ないこと”があることを認められると、自分以外の人にも”それ”があることに気づけるようになります。
例えば、親やパ-トナー。
僕たちは、子供の頃、親のことを神様のように感じていた時があります。
自分の命を育み、自分が出来ないたくさんのことをしている大人。
そしていつか僕たちはそんな親を完璧な存在だと感じ始めた。
パートナーに対しても”自分を完璧に愛してくれる存在”をどこかで期待してしまっているのかも知れません。
○○のように愛して欲しい。せめて○○はして欲しかった。○○ぐらいは出来るだろう etc.
でも自分も出来ないことがあるように、愛する人にも、愛して欲しかった人にも、”知らないこと””分からないこと””出来ないこと”がある。
・上手く片づけられないこと
・お酒をやめられないこと
・僕たちが本当に必要にしていた愛し方をしてくれなかったこと
・自分の気持ちを解ってくれなかったこと etc.
もしそのことも『仕方ないよね』って思ってあげられるようになれたら・・・
きっと、あなたは今まで自分をずっと縛っていた何かから解放されて自由になれるのではないだろうか?
もしかすると神様は、
許すこと、助けること、そして愛することを”味わえる”ように・・・
僕たちそれぞれに”出来ること”と”出来ないこと”を振り分けられたのかも知れません。