僕、カウンセラーになって20年近くになりますが、今でもずっと、僕自身も誰かにカウンセリングをお願いしています。
毎日、心に向き合っているから自分の心は一番よく知っているつもりでも、心って、見たくないこと、感じたくないものを本当に上手に隠します。
それが誰かと一緒に心に向き合うと、目を背けられなくなってひとつ下の層に眠っている心理に気付かされることがあるのです。
先日も仕事でのある取組みをこの先も続けようかやめようかという話をしている時のこと…
カウンセラーの「なんでやめられないの?」と言う不意の質問に答えが見つからなくて、
僕「・・・そんな途中でやめるような事は、ダメな事だから?・・・」
カ「それって誰が言ったの?」
僕「えっ 誰?」
カ「そう、誰がダメだって言っているんでしょう?」
僕「・・・誰?・・・誰だろう」
しばらく黙って待ってくれているカウンセラーとの沈黙の中、僕の中で思い出されて来たのは…
僕は始めて生まれた子で、小さい頃から興味を持った習い事を何でもさせてもらっていました。
でも何か面白くなくなって来たらすぐにやめてしまう”続けられない子”だったと思うのです。
そのことを父はあまり良く思っていなかったのですね。
それに比べて6歳下の弟は、ひとつの事を一所懸命やり続ける子。
またその頃には母は居なくて、父も子供に携わるようになり弟が嫌だと言ってもやめさせなかった。
挙句には僕は大学も中退してしまい父を失望させ、また今でも心のどこかでその自分のことを責めている…
そう、途中でやめる、投げ出すのはダメな事、だと言っているのは『父』だったのですね。
ただもう少し正確に言うと、今、父がダメだと言っているのではなく、
僕の『心の中にいる父』もしくは『父を失望させた自分』が言っているのです。
少し話が難しくなるかも知れませんが、
僕の心の中には弟との【競争】、父に認められない【愛されない】という思い、
また何かあるとやめてしまう自分を責める【罪悪感】、そしてやめることはダメなこという【観念】が存在する。のです。
もちろん今、同じことを父に相談したら、父は「やめるな」と怒り出すかも知れません。笑
それに父も持っていたその【観念】は父の人生において父を支える重要なものだったと思うのです。
また【途中でやめない】という考えは、人生において成功や何かを成し遂げるためのひとつの【考え方】でもあることも確かです。
ただその【考え方】や【観念】が正しいとか間違っていると言う事ではなく、自分がその観念にとらわれて『やめる』と言う選択肢を選べなくなってしまっていることが問題なのです。
『やめる』と『やめない』という二つの選択肢が自由に選べる状態で”はじめて”
「どっちがいいかなぁ」って考えられるスタートの位置に立てます。
カウンセラーはそのことに僕が気付くように導いてくれていたのです。
僕たちはいつどんな時でも目の前の選択肢を自由に選べます。誰でもです。どんな理由があってもです。
別れる、別れない。
やり続ける、やめる。
今のことを頑張る、別の道を探す。etc.
結局はあなたがどうなったら幸せか?が一番の目的で、最も大事なことではないだろうか。
もし今、何かをやめられないと思って苦しんでいるのなら、
あなたを縛っている観念を見つけてください。
どんな出来事が、どんな痛みが、誰の口癖が、今のあなたを縛っているのでしょう?
心の中に埋もれている心理に”気付く”だけで前に進めます。
心の中の痛みをひとつ手放して、まずあなたを自由にしてあげてください。
何より大切なのはあなたが楽しくて、そして幸せなことなのです。
§夫婦カウンセリングセンター
●Foo-cenトップページ>>
【プロフィール】
吉 原 直 人 心理カウンセラー
1967年12月6日生まれ。いて座。A型。