自分が愛情だと思って、相手のためにした行為なのに、
後ですごく嫌な気分になってしまうことってないですか?
例えば、仕事で疲れて帰って来た時、
家に帰るとキッチンに洗いものがそのまま置いてある。
奥さんは子供をお風呂に入れて、早く寝かせるのに手がいっぱい。
横になってテレビを見たい気持ちを抑えて、仕方なくお皿を洗って片付ける。
子供をやっと寝かせた奥さんが戻って来て、
「あ~ ありがとう!! ごめんね疲れているのに・・・ でも本当に助かったわ。ありがとう!」
って言ったら、どんな気持ち?
では、戻って来た奥さんが、旦那がするのが当たり前の様に、
「あ~あ 疲れたわっ」って見ていたテレビのチャンネルを変えたら?
また、奥さんが、
「お皿洗う時、ちゃんと油ものと違うのとスポンジ変えて洗ってくれたの!!」
って言ったら??
「みんな、私の仕事を増やしてばかりで誰も助けようなんてしてくれやしない」
と付け足したら???
・・・・・・・ な ん や と ぉ ~
不思議ですよね(笑)
愛情だと思って行った行為が、”相手の反応”でずいぶんこちらの気分が変わっちゃう。
「 犠牲 」「 補償行為 」
心理学ではそんな言葉を使って、自分の行動パターンを見つけたりしますが、
どちらとも、自分が普段抱えている無自覚の”感情”を感じたくないために、
もしくはその感情から逃げたいから行う行為を指しています。
な~んか、自分が仕事ばかりにに逃げていて、家のこと、子供のこと、
奥さんに全部、担がせているなあ~ て心のどこかで感じていたとしたら (罪悪感)
普段、俺は本当に家族の役に立ってるのかな~
金さえ稼いで来たら他の男でもいいんじゃないか? (無価値感)
どちらも自分がそう感じていると自覚出来ていたら大きな問題ではないのですが、
僕たちは嫌な感情をこころのどこかにしまいこんでしまっています。
もし罪悪感を埋め合わせるためにしてしまった皿洗いだとしたら、
こころの中では” 助けている自分 ”を感じたいわけです。
そんな時「 誰も私のことなんて助けようなんてしてやくれない 」
って奥さんの言葉は、まさに爆弾に火をつける様なものですね。
上の例はあまりにも日常よくある光景で、そりゃ~怒るの当たり前じゃんって思うかも知れないけれど、
「誰かのために」と思って無意識に行っている僕たちの行為の中には、
そんな自分の中にある無自覚の感情が元になっていることが結構あります。
すると、していることは良いことなのですが、
相手の反応で深く傷ついたり、抑えられない怒りを感じてしまったりします。
愛情からした行動には間違いないのですが・・・
相手の反応によって嫌な気分になってしまったり、相手への不満につながっていくのならあまり良い事だとは思えません。
あなたがもし、大切な人に対して日頃不平不満が溜まって来ているなと思ったら、
自分が無意識にしてしまっている行動に、一度注意を向けてください。
そして、その行動をしてしまいそうになった時、一度止まって考えて見てください。
自分に今”その行動を”しないという選択が出来るだろうか? と。
別に自分がしなくても大丈夫って思えるのなら、あなたはそのことを相手に対する愛として選択して行動出来ています。
でももし、それを”しない”という選択肢がない様に感じるのならば、
あなたがあなたの心の中にある何かを感じたくないがためにしてしまっています。
その時は、自分の中にあるその感情と向き合って見てください。
あなたは何も悪くはありません。
本当は、あなたは何もしなくても愛される存在なのです。
あなたが今感じているその感情は、子供の頃から経験して来た誤解なのです。
真実ではありません。
あなたがこれからもその人を愛し、大切な関係にしたいのならば、
その愛のなかにまず”自分”を入れてあげなければなりません。
あなたの愛は、あなた自身。そして、誰かに向かうのです。